いち早く文化的に“成熟”したJALは、日本の「マンデー・カー」的未来を暗示している
ミラノ市内にあるアリタリアのオフィスで買い求めたパッセンジャー・チケットに、LIT2276000と印字されているのを見て、僕《ぼく》は驚きました。ミラノ—ローマ—東京のビジネス・クラス、片道チケットの値段です。ヨーロッパの或《あ》る都市から東京までのチケットをイタリア国内で買った場合の値段、と言い直してもよいでしょう。
驚いたのは、その値段の安さにです。100リラ11.55円、として、262,878円です。が、電卓を叩《たた》かなくとも、二〇万円台であることくらい、誰《だれ》にだってわかります。日本で買った場合、405,400円することを知っていた僕が驚いたのも無理ありません。142,522円もの差があるのですから。
「もっとも、それはリラの価値が下がりっ放しのイタリアでだけ起こり得ることなのかもしれない」。飛行機に乗り込んでから多少、冷静になった僕は、そこで、フランスで買った場合の計算をしてみました。パリ—東京のビジネス・クラス、片道チケットの値段は、12,740フラン。1フラン26.00円として、331,240円。イタリアで買う場合より高いとはいえ、日本での場合よりも74,160円安いのです。
「ウーム」とうなりながら、では、ヨーロッパ内のフライトはどうだろうか、と計算してみました。パリ—ミラノのビジネス・クラス、片道チケットをフランスで買うと、1,725フラン44,850円、イタリアで買うと、377,000リラ43,544円、そうして、日本で買うと、79,800円。やっぱり、違います。
パリ—フランクフルト—ヴェニスは、大奮発して、座席のクッションが堅めのせいか、疲れないことで有名なルフトハンザのファースト・クラスに両区間とも乗ってみたのですが、パリで買ったチケットは、2,755フラン71,630円。日本で買うと、114,000円。これまた、現地で買い求めた方が安いのでした。
航空運賃は、FCU(Fare Construction Unit)と呼ばれるIATA(International Air Transport Association)が定めた通貨単位によって、表示されます。たとえば、東京—ヨーロッパ間のビジネス・クラスは、1488.20 FCU、パリ—ミラノ間のビジネス・クラスは、292.70 FCUです。
このFCUに対して、どういうレートを設定するかは、IATAに加盟している各国の航空会社が定めています。たとえば、アメリカでは1FCU=1〓(203円)としています。もちろん、日本の場合は、我が親愛なる日本航空株式会社が、であります。その日本航空が、1FCU=296円というレートを、未《いま》だ変えずに頑張《がんば》っています。日本で買うチケットが高いのは、このせいです。
文化を解し平和を愛する宰相の「貿易不均衡の是正を」という呼び掛けに応《こた》えて、今回の旅行では、往《い》きも帰りも外国の航空会社を利用しました。特に往きのエア・フランスには、日本でチケットを購入したために、74,160円も余分に貢献しました。
偉い人から言いつかったことを素直に実行へと移す僕は、良い子なのです。きっと、有事には率先して大政翼賛会の中堅活動家となることでしょう。お国のために尽くした後は、気分も爽《さわ》やかです。運賃比較を終えた僕は、帰りのアリタリア機内でシシリア産の白ワイン、コルボを飲みながら、「帰りの分も日本で買っておけば、イタリアへも貢献して、もっと良い子になれたのに」とさえ思いました。
けれども、前菜と一緒にサービスされた小さな海苔《のり》巻きを見た瞬間、「いかん。単純に喜んでるわけにもいかない」と感じました。1FCU=296円のレートを変えないことで恩恵を被《こうむ》っているのは、エア・フランスやアリタリアの日本支社だけではないことに気がついたからです。日本からの発着便数が一番多い日本航空が、恩恵を最も多く被っていたのです。
貿易不均衡是正のために協力した後の僕としては、複雑な気持ちです。スチュワーデスが持って来てくれた、二週間ぶりに見る『朝日新聞』11月27日付を読むことにしました。と、「小トラブルは年に一〇〇件・日航の場合」なる記事が目に留まりました。公表されずに社内処理されて来た、たとえば、降下中、客室ドアが開きそうになった、なんてトラブルが一覧表になっていました。
そうして、自分の部屋に帰って来て、留守中に溜《た》まった新聞を見ていると、ソウルの金浦《キムポ》空港で日航機がドアを開けたまま動き出して、搭乗橋《とうじようきよう》とドアの両方を壊した、などという記事も見つけました。「日航機またポカ」と見出しがついています。「弛《たる》んでるねえ」と整理部の人は思ったのでしょう。
なるほど、弛んでいるのかもしれません。けれども、僕は別の感想を持ちました。ある国の経済的繁栄度と文化的成熟度のグラフは、それぞれ、一定のタイムラグを置いて釣《つ》り鐘型を描きます。そのことは、今までの人類の歴史が証明しています。
ところで、経済的繁栄が頂点を極めた後、文化が成熟していく段階においては、同時に人間、良く言えばおおらかな性格に変わっていきます。その昔から僕が述べて来たように、「ムダな時間とお金を費やす中から、文化は生まれてくる」ものだからです。
今の日本は前者のグラフが頂点を過ぎるか過ぎないか、といったあたりなのでしょう。そうして後者のグラフは、上り坂七、八分目に差しかかって、これから、カーブが急になる、ってところかもしれません。まだまだ、多くの企業のサラリーマンたちは、“勤労は美徳”だとの教えをシッカと守って働いています。おおらかなポカなど生まれるはずもありません。
けれども、政府に保護されて育ってきた親愛なる日本航空の社員たちの二つのグラフは一般よりも早い動きだったのかもしれません。おおらかな性格が社内に蔓延《まんえん》している現状を見ると、そう思います。
近い将来、アメリカ同様に“マンデー・カー”が生まれてくるかもしれない日本の未来を暗示している日本航空は、ですから、偉大な企業です。
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