唯一生き残ったブランド、ルイ・ヴィトンが仏大使館で開いたパーティー

ルイ・ヴィトンという名のフランスのバッグがあります。新しい海外のブランドが、やったらめったら紹介されるこの日本で、唯一といっていいほど、不動の人気をかち得ているブランドです。

思い起こせば、日本におけるブランド物語史上、一時代を築いた代物《しろもの》であっても、今や、人目にも触れることなく、押し入れの片隅《かたすみ》で、シーラカンスとしての侘《わび》しい余生を過ごしているバッグが、かなり多いのです。お弁当箱型していたクレージュ。ジャガード織の生地《きじ》を使っていたディオールやフェンディ。もちろん、それらは、決して、日本でだけ流行した、実体のないブランドだったわけではありません。特に、オートクチュール・ファッションでのディオール、毛皮でのフェンディは、未《いま》だに、知る人ぞ知る超高級ブランドなのだそうでありますから。

では、なぜに、ルイ・ヴィトンだけが生き残り、なんでも自分が一番だと思っている、いささか、お目出たい中華思想を持つフランス人が手塩にかけて育てた、その他のブランド物のバッグは、遅れて日本に入ってきたイタ公のトラサルディやゲラルディーニ、アメ公のハンティング・ワールドなんぞに、地位と名誉を譲り渡さざるを得なくなったのでしょう。その理由は、二つあります。

一つは、耐久性でありましょう。成田なり羽田なりへお出かけした時に、スチュワーデスのお姐《ねえ》さんたちが、キャリーにくっつけて機内に持ち込むボストン・バッグを、注意して観察してみて下さい。圧倒的にヴィトンのはずです。中国語では空中飯盛人と表記する彼女らは、「キズがつかないの」「破れることもないわ」などと、もっともらしいことを言うでしょう。ただし、くやしいことには、今回の場合、それは本当です。どんなに丈夫だと言われているバッグであっても、空飛ぶ贅沢《ぜいたく》娘たちの酷使に、ヴィトンほどには耐えられないらしいのです。

もう一つの理由。それは、ルイ・ヴィトン・ジャパンという、本社直系の正規輸入代理店を通って、デパートやファッションビルのブチックに並べられたものに関しては、その価格をパリ本店の一・四倍以内に抑えたことであります。日本の輸入業者と契約して展開を図った他のブランド物バッグは、パリ・フォーヴル・サントノーレ通りの本店より遥《はる》かに高い、二倍近い値段がつけられました。勝負は、ここでついたのです。

「よく、わからん、言ってることが」とおっしゃる方の為《ため》に、もう少し、丁寧に解説いたしましょう。この手の代物には、必ず、並行輸入という形で入ってくるものがあります。パリのお店で一般のお客としてワンサと買い込んだものを、輸入品ディスカウント・ショップで売り捌《さば》く。それで、おまんまを食べている並行輸入業者がいるのです。現地価格に税金だの運賃だのをプラスして、そこに、利益を乗っけたものが、並行輸入価格です。けれども、本店の一・四倍以内にするのは、殆《ほとん》ど不可能なのだそうであります。ということは、ルイ・ヴィトンに関しては、並行輸入業者で買う方が、むしろ、高い。こういう現実が展開されることになります。

ところが、正規輸入で入ってきたバッグが現地価格の二倍もしていれば、これは、並行輸入業者の勝ちです。一・七倍で売ったって、もうかっちゃうわけですもの。かくして、目先の利益を考えたブランド物バッグは、すぐに値崩れを起こし、自ら、その命を短くさせていることになるのです。

ところで、そのルイ・ヴィトンが、先日の夜、南麻布《あざぶ》のフランス大使館で晩餐会《ばんさんかい》を開きました。なんでも、福武書店という、善良なる受験生諸君から御布施《おふせ》を戴《いただ》くことで大きくなった出版社から、「La Malle aux Souvenirs」という、初代ルイ・ヴィトンに始まって四代、一三〇年にわたる歴史が書かれた本の日本語版(邦題『思い出のトランクをあけて』)を出した記念パーティーなのだそうであります。一二リットルも入ってるバカデカいシャンペンを三本開けて、乾杯。なぜか、その味付けのヘビーさから、在日フランス人にだけ受けている青山のレストラン、ジョエルと、有吉佐和子女史がお気に入りだったという、値段だけはやたらと高い、新橋の割烹《かつぽう》、京味の料理が交互に出てくるという不思議なメニューで晩餐会は進行しました。

フランスだのイタリアだのの在日大使館が凄《すご》いところは、この手のファッション関係のパーティーを大使館公邸で開くことを許す点です。もちろん、諸経費はメーカー持ちであるにせよ、大使夫妻の主催という形をも取らせます。日本という大得意さんに、いい気持ちになっていただいて、一杯、買ってもらうのが、これからの我々の繁栄だ、ってところがあるのでしょう。これに引き替え、日本の大使館は、どうなのでしょう。日本人デザイナーが仮にパリでコレクションを発表した場合、同じような晩餐会が日本大使館公邸で開かれるとは、あまり、想像出来ないのです。

けれど、この日のパーティーも、石原慎太郎、岩井半四郎、猪谷千春《いがやちはる》、相沢英之《ひでゆき》、三船敏郎、千代の富士といった、少しずつお金を溜《た》めては、ルイ・ヴィトンを買いに来てくれる若い女の子とは、およそ、直接、関係のない人たちばかりが、御夫妻で登場でした。市井《しせい》の女の子たちがルイ・ヴィトンに払ってくれたお金で、仮に買うとしても、自分は、三〇%引きで買う人たちが、ご飯を食べている。何の宣伝効果があるわけでもない、こうした晩餐会に出席すると、つくづく、パーティーとはバニティーであるということを、再確認することが出来ます。そう言えば、アンチーク屋さんと御結婚以来、ジャグワーにお乗りになっていらっしゃるとかの桐島洋子《きりしまようこ》女史も、嬉々《きき》としてお出《いで》になってらっしゃいましたが、僕《ぼく》と目が合った瞬間、「あら、まずいわ」って表情に変わられたのが、いやはや、なんともでした。

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