空からの贈りもの——JALへ愛をこめて。日航は“ナショナル・フラッグ”に疲れてる
「子供が出来ちゃったとか、裁判沙汰《ざた》になっちゃったとか、ま、そういうトラブルにならない限りは、いくら社内で不倫しちゃおうと、昇進にはまったく関係ないね」
日本航空組織人事部採用グループの若手社員は、そう言いました。昭和五四年二月、まだ僕《ぼく》が大学生だった頃《ころ》、本社内で聞いたセリフです。それから六年が経過した今、妻子ある社内の人間と付き合っている何人かの客室乗務員(クルー)を、僕は知っています。異例の早さで出世している管理職がその相手であるケースもあります。彼の言っていたことは本当だったのかもしれません。けれども、昨今、その事実が社内に広まっても平気かどうかの違いがあるだけで、こうした“不倫”が掃いて捨てるほど転がっているのは、商社であろうと銀行であろうと、はたまた、もちろん、マスコミにおいてであろうと変わらぬ状況になりました。
大屋政子女史が発案したという、イクラご飯ならぬキャビアご飯を食べるクルーがいます。ファースト・クラス(F)の乗客にサービスした後に残ったオードブルのキャビアを、同じく和食メニューの残りの白飯に載せて、クルー・ミールと一緒に食べるのです。トレイに載ったテーストレスな機内食を食べさせられるエコノミー・クラス(Y)の乗客からすれば、「ふざけんなよ」と言いたくなる行為ですが、次の寄航地に到着すれば食中毒を防ぐため、その他の残ったミールと一緒に処分されるキャビアです。まあ、大目に見てあげることも出来なくはないでしょう。
『スチュワーデスの本』とやらに登場しているスチュワーデス(SS)やアシスタント・パーサー(AP)の中には、所謂《いわゆる》、サラ金業者の息子と付き合っている子や、ボーイフレンドとのSMが趣味という子がいます。あるいは、日本のボーイフレンドと国際電話でテレフォン・セックスするのが、ステイ先での楽しみという子もいます。けれども、それがどうしたというのでしょう。何ら恥じる必要のない、また、極めて自然な人間の生理に基づく行為であると僕には思えます。
日本航空の体質について声高に語る人たちがいます。批判的見解が主流を占めています。『朝日ジャーナル』読者のように、本来、リベラルな思考をするはずの人たちまでもが、「日航の甘えの体質を正せ」「世間が許さない」といった、一歩間違えば修身にもなりかねない発言をするのです。そうして、安全に飛んでさえいれば、別段、問題にもならないであろう前述のような事柄《ことがら》は、たとえば、一旦《いつたん》、事故が起きると、すべて、その遠因であるかの如《ごと》く語られていくこととなります。
もちろん、忌《い》むべき日航の現状も、数多く僕は知っています。大手の旅行代理店には、JALCOM㈽と呼ばれる日航のオン・ライン端末機が置かれています。日航の国内、国際線の予約、発券を行うためです。全日空、東亜国内航空の予約、発券は、それぞれに独自のオン・ラインがあります。けれども、国際線については、すべてJALCOM㈽を使って発券するのです。もっとも、JALCOM㈽で予約出来るチケットは、東京発着便、いずれかが日航でなくてはなりません。ですから、東京—ニューヨーク—シカゴ—東京というチケットを予約する場合、東京発着便が、それぞれユナイテッド(UA)、ノースウエスト(NW)だったりすると、駄目《だめ》です。この場合、航空会社に電話をして予約するのです。
ただし、その後の発券に関してはJALCOM㈽を使うシステムになっています。従来のように手書きでない印字された国際線のチケットは、こうして我々の手元に届きます。が、同時に、各旅行代理店の販売動向は、JALCOM㈽を通じて日航のデータとなります。アメリカの場合は、幾つかの予約、発券オン・ラインがあるのに、なぜか日本の場合は、日本中の旅行代理店が日航に支配されている形なのです。
国際線の予約は一年前から行うことが出来ます。たとえば、混《こ》み合うお正月のホノルル便は、仕事始めの日、どこの旅行代理店も競って予約を入れます。翌年のお正月をホノルルで過ごす予定の顧客からの予約に従ってです。けれども、UAやNWは座席が空いてさえいれば無条件で予約OKが出るのに、日航だけはJALCOM㈽の画面にウエイティングを意味するULが表示されます。これはキャンセルを見越している日航が、いずれの旅行代理店に対してもOKを出さず、ある種、オーバー・ブッキングの形にしていることを意味します。予約OKの欲しい旅行代理店は、日航側の担当営業マンの心証を良くするための努力を行うことになります。
けれども、ギリギリまでウエイティングさせられた挙げ句の果て、その力関係からエグゼクティヴ・クラス(C)が取れずに、Yのチケットが日航から下りてくることがあります。日時の関係でこのチケットを使うしかなかったビジネスマンは、格安チケットで乗り込んで来た団体客の間に挟《はさ》まって、アルコール有料、機内食もサービスもCとは比べものにならないくらいに差のあるYでお出かけすることになるのです。もちろん、理不尽なことに、ディスカウント・チケットを買ったのではない彼の場合、Cを利用した場合と同じ正規料金を払っているのです。同じお金を払いながら、そのあまりの違いに苦情を述べた僕の友人に、日航パリ支店のある社員は、「だって、Yはカーゴみたいなものですから。運が悪かったですね」平然と言い放ちました。
そのせいでしょうか。クルーは、C客と同じミールを食べるのです。そうして、Fを担当したクルーは、F客と同じミールです。人員繰りや就業時間数の関係からデッド・ヘッドと称するノー・デューティ・フライトで次の寄航地まで移動する場合、座席は原則としてCです。CやYが一杯の場合、Fに座ることさえあります。
正規料金で買う国際線チケットが世界で一番高いのは、日本です。それは、1FUC(=1〓)=296 円というレートを日航が変えないからです。東京—シドニー往復チケットを日本で買うと、四九万六一〇〇円するのに対して、オーストラリアで買うと、2444オーストラリア〓(1オーストラリア〓170円として、四一万五四八〇円)。約八万円の違いがあります。この差で利益を得るのは、誰《だれ》でしょう? 国際線チケットの場合、旅行代理店の手数料は九%です。残りの九一%は航空会社の収入です。国際線の日本発着が最も多い日航が、一番の恩恵を被《こうむ》っているのです。
多くの読者諸兄は、こうした事実に怒ることでしょう。この僕も、呆《あき》れてしまいます。「日航の体質は」と修身したい衝動に駆られます。けれども日航がこうした体質になったのは、社内だけに原因があるのでしょうか? 次に掲げる事実も知る僕は、複雑な思いになります。
旅行の際に便利な携帯用カセットプレーヤーで定評のある電器メーカーの会長夫妻の斜め後ろの席に乗り合わせた僕の友人は、びっくりしました。ミール・サービスの際に、たとえば、ナプキンに包まれたフォーク、ナイフがテーブルの上に心持ち曲がっておかれただけで、会長夫人はSSを叱《しか》ったのです。SSは謝りました。けれども会長夫人は続けてAPを呼びつけて同じことを言いました。更に、キャビンの責任者であるチーフ・パーサーをも呼びつけました。夫である会長は、その間、黙って本を読んでいました。僕が卒業した大学の前身を出た、長期信用系銀行の元頭取、そして、外務省関係の中にも同様に理不尽な要求や不遜《ふそん》な立ち居振る舞いを機内で行う者がいることも、この業界では周知の事実です。あるいは、「オイ、姉ちゃん、ビール」とクルーに命令するYの団体客の存在については、改めて説明するまでもないでしょう。日頃から僕が口を酸《す》っぱくして説く、“サービス”という単語の意味を畏《おそ》れぬ日本人が、日航の乗客の多くを占めているのです。
そうして更に不幸なことに、こうした乗客の要求に応《こた》えようと、日航はするのです。コンプレインの多いF客には、地上からのシート・チャートの備考欄に、ウルサいという符丁らしきUUUマークが記されて、クルーへの注意が喚起されます。「ファーストのお客様がコール・ボタンを押される前に、その御希望を察知出来なくては、クルーとして失格よ」と言うAPもいたりします。過剰サービス精神です。が、それほどまでの対応は、果たして必要なのでしょうか?
我々は飛行機というものが、とてつもなく高級な乗り物だと思い込んでしまっているところが、どこか、あるのではありますまいか。FやC専用のチェック・イン・カウンターで、係員のささいなミスに対して、「オレは、しょっちゅう日航に乗ってやってるんだぞ」と怒る日本人は、バスや電車の職員に対しても、そうした怒り方をするでしょうか。また、事あるごとに、「ナショナル・フラッグ・キャリアとしての日航が」と発言するマスコミも、日航の国際線は国威高揚のためにあるのだと未《いま》だに信じて疑わないのではありますまいか。
パリやローマの空港を利用した際に、運良くエア・ガボンのジャンボ・ジェットを見たことのある人がいるかもしれません。緑色をしたカワイイ小鳥のマークが垂直尾翼に描かれたガボン共和国唯一《ゆいいつ》の国際定期便運航会社であるエア・ガボンは、全部で八機の飛行機しか保有してないのに、その中の一機がジャンボ・ジェットなのです。それはまさにナショナル・フラッグ・キャリアと呼ぶにふさわしい、ある種の感懐を与えてくれます。けれども、“盟主”アメリカからも愛想をつかされがちな経済大国、日本が、未だに肩ひじ張って、「ナショナル・フラッグ・キャリアの威厳が」などと言う必要がどこにありましょう。外交団の訪問にUAやNWを使えば、アメリカへの点数稼《かせ》ぎにもなろうというのにです。
そうして、飛行機が特別なものだと考えるFに座る財界人、与野党の政治家、官僚は、Cに座る大手企業のビジネスマンたち同様、機内で理不尽な要求をするだけでなく、更に渡航先の外地でも現地の日航社員に観光案内や夜の世話までさせるのです。これは、わが親愛なる同胞、マスコミ関係者とて同じです。一般乗客からの運賃収入の一部を使って、幇間《ほうかん》よろしく日航社員は接待しているのです。大手企業にならどこにでもいる、精神的ブランドと安定を求めて入社した社員が、こうした卑屈な日々を送る中で、ついつい、一般乗客を小馬鹿《こばか》にした前述のパリ駐在員のように逆の特権意識を持ってしまうことを、一方的に批判することには僕は抵抗を感じます。
我々は、そろそろ、JALをごくごく自然な形の会社に戻《もど》してあげるべきなのではないでしょうか。単なる運輸会社としての姿にです。それは、完全民営化、ANA、TDAとのフェアな市場競争が行われるために不可欠な、分割化の上で、です。そのことで一時的に日本の航空会社の国際線輸送占有率が落ちようとも一向に構わないではありませんか。未だに、そんなメンツを気にする必要のある国では、日本はないはずです。
今週、日航機に搭乗《とうじよう》される読者諸兄は、普段は搭載されている各種の週刊誌が漫画誌以外は用意されていないことに驚くでありましょう。その日の新聞も、リクエストしなければ持って来てくれないはずです。そうして、救出されたAPの発言は、なぜか、警察の事情聴取よりも先に病室に入室することの出来た日航関係者によって伝えられました。生え抜きの現社長が再任中に辞任して、運輸省出身の副社長が昇格することになっていたそのシナリオを、今回の事故で早めることで会社としての責任問題も片付けられようとしています。どうして日航は、我々の前にありのままの姿を見せようとしないのでしょう。それは半官半民の日航に、国も国民も単なる運輸会社以上の役割を要求してきた中で生まれた弊害なのかもしれません。
そうして、そのことは、我々、マスコミに従事する者への警鐘でもあります。感情レベルで日航を批判したマスコミ関係者たちが、たとえば、一年後、日航とのタイアップ記事取材で訪れた外地で日航社員を幇間扱いし、また、社内で七人の犠牲者を出した広告代理店と、生存者救出場面をスクープしたTV局、それに直木賞“日航”作家が協力して「新スチュワーデス物語」を作ることで、ナショナル・フラッグ・キャリアの威信回復が図られ、忌まわしい記憶が薄らいだとしても、それは事故機に搭乗していた人々の望むところではないでしょう。
繰り返しますが、JALをごくごく自然な形の運輸会社に戻してあげること。それが、我々利用者、そして、過度なサービスを要求されながらも黙って仕事を続ける、心ある日航社員への真の贈り物。僕には、そう思えるのです。
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