カルティエ主催パーティーの有名人招待客が、ターゲットの中産階級を満足させる。

カルティエ(Cartier)という名の宝石店がパリに存在しています。カルチェと発音する日本人も多い、宝石商です。が、むしろ一般にはカルティエ・サントス・ウォッチを出すところとして知られているかもしれません。もっとも、このサントス・ウォッチが登場したのは、一九〇四年。カルティエ自体は、創業一五〇年になります。ざあっと、その歴史をおさらいしてみましょう。

一九世紀の半ば過ぎ、所謂《いわゆる》、上流階級の人間は、カルティエの宝石を好みました。ナポレオン三世の従妹《いとこ》、マチルド公爵《こうしやく》夫人御用達《ごようたし》だったからです。創業者ルイ・カルティエ・フランソワの息子、アルフレッドと、孫にあたるルイ、ピエール、ジャック三兄弟は、更にインド、ペルシア、アラブといった地区の王侯貴族も顧客とすることに成功しました。世界で最初に腕時計なる代物《しろもの》を考案したルイは、それを、飛行家、サントス・デュモンの手首につけて空を飛んでもらうことで、腕時計の、そしてカルティエの認知度を一気に高めました。皮革製品やエナメル、シルバー製品をも新設のS部門というディビジョンから売り出したのも、この頃《ころ》です。

けれども、まだ、その当時、カルティエの宝飾品の多くは、オーダー・メイドでありました。そのひとつひとつに通し番号が入っていたのです。もしも読者諸兄の中に「ワシは、宝飾品に興味があってのおう」と、『朝日ジャーナル』読者にしてはお珍しいタイプのお方がいたならば、たとえば欧米のアンチーク・ショップで手に入れたカルティエの古い宝飾品の、そのキャリアを照会なさるとおもしろいでしょう。意外な人物が、何十年も前に買い求めていたことがわかるからです。

それは、ともかく、限られた人たちの持ち物だったカルティエが、中金持ちや小金持ちの手の届くところとなったのは、つい最近です。そうして、その作業は、カルティエ家とは何ら血縁関係にない新オーナー、ロベール・オックによって、でありました。レ・マスト・ドゥ・カルティエという新しいネーミングによる商品展開を彼は行うことで、第二次世界大戦後、低迷を続けていたカルティエの復興を成し遂げたのです。ワンレングスやってる日本の女の子なら、その誰《だれ》もがロレックスの腕時計同様に欲しがるであろう、日本円にして一〇万円少々の三連指輪を始め、ライター、スカーフ、万年筆、眼鏡なども売り出すことで、顧客の裾野《すその》を広げたのです。

もちろん、レディ・メイドです。おまけに、あの誇り高きフランス人が、英単語であるところのmustを使ったネーミングをしたのです。けれども、同時に、「人が持つべき(マスト)もの」という、ある種の権威性を持っていました。そうして、これは、最大のお客であるアメリカの中金持ちたちの心をくすぐる効果を生みました。日本においても、同じことです。三連指輪を欲しがる件《くだん》の女の子たちを始めとして、箱庭感覚に生きる、名もなき、けれども、馬鹿《ばか》に出来ない数の小金持ちたちが顧客となりました。

以前から、僕《ぼく》が言うところの、上昇ベクトルと下降ベクトルをうまく使い分けたのです。由緒《ゆいしよ》あるカルティエの製品を使いたいと考える中金持ち、小金持ちたちの上昇ベクトルを満たしてあげるために、レ・マスト・ドゥ・カルティエという、権威的、かつ啓蒙《けいもう》的匂《にお》いのする、けれども、ちょっぴり手を伸ばせば、目先の小金で買うことの出来る下降ベクトルの商品を提供したのです。もちろん、それは、平等な、けれども、だからこそ余計、他人との差別化を図るために精神的、物質的ブランドにこだわる多くの日本人の琴線を捉《とら》えました。

とは言うものの、日本におけるカルティエ製品の売り上げは、世界第七位です。日本での売り上げが一番のインペリアル・プラザ店も、全世界に一五〇近くあるカルティエ・ブチックのベスト三〇に入りません。「もっと、伸びるはずだ」と考えた四二歳の新社長、アラン・ペラン氏は、数年前、今後は毎年、東京でパーティーを行うことを命じました。今年は、新高輪《たかなわ》プリンスホテル・飛天の間で、九月二〇日に開催されました。ホテル・リッツのあるヴァンドーム広場に、パリのカルティエ・ブチックはあります。そのヴァンドーム広場に似せた、大掛かりな張りぼてで会場を包み込むようにしての、題して“ソワレ・カルティエ・プラス・ヴァンドーム”でした。

二五〇名に及ぶ招待客は、その殆《ほと》んどが夫妻での出席だと、駐日代表のサンドロン氏は電話で言います。最年少の招待者であるこの僕も、また、ガールフレンドにドレスとシューズ、バッグ、そして、カルティエのイヤリングを新調して、二人で出かけました。各国の駐日大使夫妻、元皇族の竹田恒正夫妻、島津久永・貴子《たかこ》夫妻、北原秀夫元駐仏大使夫妻、石原慎太郎夫妻、相沢英之《ひでゆき》・司《つかさ》葉子夫妻、磯村尚徳《ひさのり》夫妻、芦田淳《あしだじゆん》夫妻、三船敏郎夫妻。この他《ほか》、トヨタ自動車だの服部《はつとり》セイコー・グループだのの一族からも出席者がいます。

実際には、こうした人たちは、カルティエ製品を正価で買うことはないでしょう。けれども、そうした夫妻が出席したパーティーの光景がTVに流れることで、カルティエの上昇ベクトルの部分は維持されるのです。クラスのない日本において、微《かす》かにクラスを感じさせる人たちに、タダでご飯を食べさせることは、決してパーティーに呼ばれることはないであろう、ただし、レ・マスト・ドゥ・カルティエの商品を支える名もなき日本人たちの、心の中での上昇ベクトル意識を満たしてくれるのですから。

ところで、帰りがけ、これまた夫妻で出席の森英恵女史に、「田中さんの考え方、私、好きなので、連載や単行本、拝読してますわ」と言われました。先々週、このページに登場した日航女子社員の制服に関する文章も、お読みになってらっしゃったのでしょうか? 人と多く知り合いになればなるほど、その分、甘い毒を含む文章を書き続けることの辛《つら》さが増します。ついでに、直木賞“日航”作家氏は、遠くからジッと僕を見ていました。そうして、元クルーの奥様は、キッとにらみ付けたような気がしました。

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