“おおらかなポカ”を続発させるのに、JALのクルーにおおらかさが足りない理由
「弛《たる》んでる」と正義感あふれる人たちから言われっ放しの日本航空には、実は肯定的意味でのおおらかな性格が蔓延《まんえん》していて、それは、近い将来“マンデー・カー”が生まれてくるかもしれない日本の未来を暗示していると、前章で述べました。
それでは、経済的繁栄度と文化的成熟度の二つのグラフが、とうに両方とも釣《つ》り鐘型の頂点を通り過ぎてしまった感のある国、イタリアの航空会社アリタリア(Alitalia)なんぞには、日本航空以上におおらかな性格が蔓延しているのでしょうか? もちろん、答えはイエスです。
まずは、九九%以上の株式を政府が保有しているのです。国際線と国内主要幹線を独占しています。そうして、国内ローカル線を運航するATI(Aero Trasporti Italiani)は、一〇〇%の子会社です。三七・七%の株式を政府が保有しているだけで、アーダ、ウーダと言われる日本航空なんて、いやあ、これに比べれば、かわいいもんです。
加えて、ご存知《ぞんじ》のように、元々、おおらかな性格が国是のイタリアです。いわんや、独占企業、アリタリアのクルーにおいてをや、であります。今までに何度か乗る中で、そのことを実感しました。
DC9やエアバス300のコックピット・ドアを開けたまま、最初から最後まで飛んだことがあります。地上職員のミスなのか、座席数よりも一人多く、乗客が機内にいたこともあります。どうするのかと見ていると、キャビン・クルー用のジャンプ・シートに坐《すわ》らせました。もちろん、見ている乗客が日本でも少ないとはいうものの、でも、一応は説明してくれる非常用設備についてのアナウンスや実演など一切しないフライトが、結構あります。
そうして、もっと、すごいおおらかさを僕《ぼく》の女友達は経験しました。一番最後に乗り込んだ彼女に、コックピット・クルーの一人は、「どこのホテルに泊まるんだい? 今晩、デートしないかい?」、飛行機が動き出してからも話しかけました。彼がちゃあんと前を向いてコックピットのシートに腰を下ろしたのは、離陸直前だったと彼女は言います。
まさに、おおらかな性格です。けれども、それが、おおらかなポカにつながったという話は、あまり聞きません。一方、おおらかなポカの続出する日本航空は、冷静に考えてみると、それほど、おおらかな性格が蔓延しているわけでもない気がするのです。
「新人類の旗手たち」の一人だと認定された、コンピューター会社の若手副社長は、しばしば日本航空を利用します。アメリカでの仕事を終えて、ファースト・クラスのシートにドカン、坐りました。ミール・サービスの時間です。どのメニューをチョイスするかを聞きに来た男性パーサーに、「和食や」、答えました。
すると「申し訳ございませんが、和食は人気がありますので」と婉曲《えんきよく》的に他のメニューを勧められました。けれども、横に坐っていたスーツ姿の中年紳士には、和食が運ばれて来ます。「どうなっとるんや」、半ズボンにTシャツという出《い》で立ちの彼は尋ねました。
「お客さまは、本来、ビジネス・クラスなのですが、座席が一杯だったため、アップ・グレイドでファーストにお乗りいただいております」、地上職員から渡されたシート・チャートを見ながらパーサーは答えました。「なにい、ちょっと、見せてみい」、ファースト・クラスの正規料金を支払って乗っている彼は、シート・チャートを手に取りました。
なんと、地上職員のミスで、半行ずつ欄からずれて記入されていたのです。アップ・グレイドしていたのは、横の紳士の方でした。パーサーは、見間違えてしまったのです。思い違いの非を彼にわびました。けれども、気まずい雰囲気《ふんいき》になりました。
その後、成田にあるオペレーション・センターに、「身なりでお客様のクラスを判断しないように」という、件《くだん》のトラブルを告げる掲示が出ました。スーツ姿で働く「若手副社長」のオフィスへ取締役の一人が、わざわざ、陳謝しに来ました。たまたま、共産党系の客乗組合員だったパーサーは、厳重に注意されました。
もちろん、彼のミスが原因です。けれども同時に、地上職員のミスも原因なのです。が、そのことは問題にされませんでした。去年の上半期に起こったお話です。どこか、不思議な反応と対応だな、という気がします。それぞれの登場人物たちがです。
やはり、まだ、日本人にとっては、飛行機は特別な乗り物だという意識があるのでしょう。ミール・サービスが終われば、バー・コーナーを通路に出して、クルーは仮眠を取るおおらかさが欧米の航空会社にはあるのに、日本航空機内では水一杯のために乗客はコール・ボタンを頻繁《ひんぱん》に押し、これまた、日本航空側も欧米で買うよりも高い運賃であることの免罪符のつもりなのか、過剰とも言えるサービスを売り物にしています。
そうして、精神的ブランド価値の高い乗客には、たとえ彼が自分のお金で乗ってなくとも、キャプテン以下、わざわざ頭を下げ、逆の場合には、自分でお金を払ってくれていようとも、特には頭を下げない不思議さが当たり前となっているのです。
本来ならば、日本の企業の中で最もおおらかさが満ちあふれていてしかるべきはずの日本航空は、むしろ、逆のベクトルを社員たちに求めています。日本一、世界一の航空会社に勤めているのだという、ある種、三菱《みつびし》グループのサラリーマンやOLと共通する精神的ブランド意識を持つことを求め、同時に、過剰なサービスを行うことも当然とする空気があるのですから。
トランスポートというサービス業を営む日本航空の悲劇は、そこにあります。そうして、そのことが、おおらかさはあるのに、おおらかなポカの少ないアリタリアを始めとする他国の航空会社との違いを生み出しているのです。
コメントを残す